【わからないシリーズ】国語がわからない【読解力編】

読書する人

こんにちは。最近ようやく日傘の便利さを知った飛鳥たぐいです。

晴れの日に傘さすとか、なんかめんどくさかったんですよね。。。

 

ところで、国語のお話なんですけど、皆さんは学生の頃、国語はどうでした? 得意でした?

学生さん真っ只中の方は、どんな感じでしょうか。

 

私はというと、本当に苦手でした。

国語が苦手だから理系に進んだと言っても過言ではない、というのは嘘ですが、センター試験の国語が終わったら二度と国語と関わらなくていいぜやったぜハッピー!くらいには感じていました。

 

今回はそんなお話です。

次の設問に答えなさい???

日本語の知識を聞いてくる問題。

例えば、漢字の読み書きとか文法とかことわざとかですね。

 

そういうのは平気なんです。

 

「つまりは覚えればいい」ということがわかる問題だからです。

人によって得手不得手があって、覚えることにも時間の差は生じます。

それでも、ひとまずは道筋が見えてくる。するべきことがわかるわけです。

 

何がわからんって、文章読解がわからんわけですよ。

 

「次の文章を読んで、設問に答えなさい」

そんなん書いてあったら、そんじゃま読みますかってなるじゃないですか。素直に読みますよ。

そうすると、一部の文章の横に傍線が引いてあるんですね。わざわざ言わんでも知ってますね。ごめんなさい。

 

そこでマークシートだと設問に「線部はどういうことか、その説明として適当なものを次のうちから選べ」みたいなことが書いてあるわけです。

 

「いや、どういうことかとか言われても……そのままの意味やろ……?」

 

もうちんぷんかんぷんですよ。

 

「『それ』は何を指しているのか」みたいな質問だったらわかります。

ただ、それ単体で意味を成してる文章に線を引いてるのは、ちょっと何言ってるのかわからん。

 

選択肢を見てもわからないんですよ。

どの選択肢もあくまで憶測だし、そこまで言ってるか?という文章の選択肢ばかり。

 

だって、その文章以外に答えなんかあるか?

それ以外に適切な説明の仕方があるんだったら、作者だってそれを書いてるでしょ?

書いてない時点で、傍線部の文章はそのまま受け取れよ。なんでわざわざ違う説明を選ばせるんです?

 

何を勉強すればいいの???

わからない人

最初の方にも書いたけど、ここまで来ると何をしたらいいのか本当にわからない。

 

暗記ものであれば、覚えるまで書くなり読むなりすればいい。

数学や物理であれば、わかっていない部分を見つけて、そこを重点的に勉強すればいい。

 

例えば、確率がわからない場合、確率のしくみを勉強すれば、いずれは解説が理解できるようになるし、本番の試験の問題も解けるようになる。

 

対して国語は、一体全体何を勉強すればいいんだ?

 

教科書の中身がセンター試験に出るわけではない。

読解問題の文章は毎年違う。

手をつけようにも、とっかかりが全くないです。

 

本を読めばいい???

センター試験の過去問を解いてみても、年度によって点数が上下するだけで、上達してる気がしない。

 

ということで、当時の先生に「何を勉強したらいいのか」と質問したことがあります。

学校も塾もだいたい同じ答えなんです。

 

「本を読むといい」

「何でもいい。興味あるものを読みなさい」

 

こんな感じでした。

 

「いや……、え、読んでいいの?」

 

小中高(高二まで)と読書はしていました。

月5、6冊は常に読んでいたし、多い時には月10冊程度。

学校の図書室と市立図書館に頻繁に通う月島雫みたいなことしてたんですけど……(いや雫はもっと読んでるか)。

 

高校三年では、読書量を月2、3冊に減らしていました。

 

受験生だから受験勉強をしなくてはいけない。

好きな読書を諦めて時間を作り、その分を勉強にあてるべきだと考えたからです。

 

そんなだから、本を読めば点数が上がるとはにわかに信じられなかったんですよね。

結局、本を読んでいることを伝えてもわかってもらえず、うやむやにされるだけで終わりました。

 

読解力がないからだ???

なぞなぞ

「読解力がないから」

「読解力をつければいい」

というのもよく聞く話です。

 

センター試験の読解問題って、本当に読解力で解いてるんですか?

 

そもそも本を読むときに、読解問題のようなことは考えません。

文章の中に書かれていることは、書かれているままに受け取ります。

頭の中でイメージに置き換わることはあれど、「この部分はこういうことを説明している」とはわざわざ変換しないです。

 

あと、文章を読むと純粋に続きが気になってしまいます。

読解問題には評論と小説とがあったと思うんですけど、両者とも大抵は、途中から始まって途中で終わります。

中には、「ちょマジ空気読めよ」みたいなところで途切れていることもあったりします。

 

そうなると、続きの内容が気にかかって、設問なんかどうでもよくなるんですよね。

 

読解問題を解く行為って、自然じゃない特殊なことをしてると思うんです。

その行為と読書は結びつかないですよ。

 

国語は必要???

漢字や文法などを学べるので、必要か否かと聞かれたら、それはそれで必要だと思います。

果てしなく理不尽な読解問題もありはするけれど、世の中に果てしなく理不尽なことなんて腐るほどあるので、そういうことを教えてくれていたと考えれば、どうってことない気もします。

 

それから、人は、歳をとるほど自由に選択することができるようになります。

やりたくないことは無理にやらず、距離を置くことができます。

国語の読解問題とはもう二度と関わらないけれど、毎日の楽しく読書できてますしね。

 

ただやっぱり、「あれ結局何だったんだ?」という疑問は拭えずにいるのです。