「ムーミン」と「ムーミンパパ」から想起する科学

「ムーミンパパ」という名称を耳にしたとき、あることに疑問を覚えないだろうか。

ムーミンはムーミンパパとムーミンママの息子である。

となると、ムーミンパパとムーミンママが先に存在しているわけであり、彼らにはパパとママではなかった歴史があるわけだ。

ムーミンパパ&ムーミンママという名称は、明らかにムーミンという名称ありきでつけられている。

仮に、彼らが生まれた子供に「ムーミン」と名付けたのであれば、その両親にムーミンという文字があるのは不自然なのだ。

 

似たようなもので「バーバパパ」「バカボンのパパ」「幸子EX」などがある。

全てはここから

実は、ムーミンやムーミンパパなどの名前をつけたのは、彼ら自身ではない。

名付けをしたのは、外に住む人間である。生物学と基礎医学の分野に携わる研究者だ。

 

あるとき、彼は、専門分野の生態系調査ためにある地を訪れていた。

まだ人間の手が深く及んでいない未開地……。

調査の最中に、彼は新種生物を発見する。

研究対象とするために、学名として彼らを「ムーミン(*1)」と名付けた。

そのムーミンが生息している地ということで、未開地一帯を「ムーミン谷」と命名した。

 

しばらくムーミンを研究していた研究者であったが、その地で再び新種生物を発見することとなる。

その生物は、ムーミンにとてもよく似ていた。

生物学者は、両者の関連性を重視して、(全く別の名称をつけることも可能だったが)便宜的に「ムーミンパパ」と名付けた。

名称で両者の関連性を明示することは、研究分野の今後の発展においても重要なはずだ。

 

「パパ」の由来は、最初に見つけた生物よりも身体が大きい上に声が低く、シルクハットを好んで被っていることによる。

同様に「ムーミンママ」などの新種も発見する。

「ムーミン谷」の研究動向をまとめた彼の論文は、国際誌を通じて定期的に全世界に公開された。

爽やかな気分が一転

ある日の早朝のことである。

妻が入れた珈琲を飲みながら、彼は印刷されたゲラを確認していた。

ゲラとは、「ゲラ刷り」を略したもので、「校正刷」を意味する出版業界用語のことである。

書籍として発行する前に、文章の修正や誤字脱字、図版、全体のデザインなどを確認するのだ。

この作業を一般的に「ゲラに赤を入れる」という。

修正箇所を指示する際に、赤鉛筆や赤いボールペンを使用することからそう呼ばれる。

修正前の文章は黒字であるため、その上に鉛筆や黒いボールペンを使用することは、不適当であるといえるだろう。

ゲラを確認する作業は、著者以外に編集者や校正者なども同様に行う。

 

専門用語のせいで話が逸れてしまったが、ゲラを読んでいる最中に突然、彼はある仮定を閃いた。

「ムーミン」よりも「ムーミンパパ」「ムーミンママ」のほうが先に誕生していた、という説である。

読みかけのゲラを放って、机の上の端末を立ち上げる。これまでのデータを漁りはじめた。

 

「そうだ……間違いない」数時間ののち、彼はつぶやいた。

ムーミンパパが進化の過程で枝分かれして、ムーミンが発生したのだ。

彼が発見した順番は「ムーミン → ムーミンパパ」だったのだが、実際の種の発生の順番は「ムーミンパパ → ムーミン」だったわけだ。

名称だけを聞いた人は、その種が退化したように誤解するかもしれない。

だが、だからといって、ここで学名を変更することはできない。

すでに多くの論文が発行されているし、多くの研究者がこの学名を利用している。

安易な学名の変更は、混乱を招く。

特別なことではない。元来、科学とはそういうものだ。

結果、後世に生きる我々は、その名称を目にしたときに、パラドクスの渦に嵌まったような感覚を抱くのである。

将来、科学の分野を志すものは、このことを十分に把握しておくといいかもしれない。

 

(*1:学名は規約に基づいて、ラテン語で表記される。本文に出てくる学名は、すべて和訳したもの(和名)である。 ^戻る

 

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